月とススキに想いを馳せる夜、郡山市の逢瀬川にて

ふくしまの風景

この写真は父も非常に気に入っていて、実家の写真スタジオにも飾られていました。

「逢瀬川の月とススキ 1978年郡山市」とタイトルの付いた写真データ。

今から45年も前の写真ですが、川沿いに群れるススキの穂を月が煌々と照らすさまは時を越えて息を飲む美しさです。

逢瀬川は郡山市街を流れる川で、郡山市民にとってなじみの深い川ですが、古くは平安時代に歌枕としていくつもの和歌に詠まれています。

風に揺れるススキを照らす月明かり、平安時代の恋人たちもそれを眺めたのでしょうか。

逢瀬川とは

郡山市民になじみの深い川

逢瀬川(おうせがわ)は阿武隈川水系の一級河川で、郡山市街を流れています。

源流のある逢瀬町多田野の大滝渓谷が源流とされ、市街を流れて阿武隈川に注ぎますが、市内には前述の逢瀬町の他にも逢瀬公園や逢瀬ワイナリーなど、「逢瀬」の名を冠したスポットがあり、市民にとってなじみ深いものとなっています。

筆者も小学校の遠足で逢瀬公園に行ったことがある他、帰省した際には逢瀬ワイナリーに立ち寄ることもあります。

特に逢瀬公園は家族や友人と何度も行っており、思い出深い場所の一つです。

なぜ「逢瀬」なのか

何の気なしに「逢瀬川」と口にしていましたが、「逢瀬」とは「恋しあう男女があうこと、またその機会(小学館新選国語辞典より)」というように些か艶めいた意味を持ちます。

冒頭の写真ですが、ススキに隠されて、それでも月に照らされて……そんなロマンティックな想像をかき立てられる思いがします。

ところで、逢瀬の「逢」は「逢う」ことですが、「あう」には「会う」「遭う」「遇う」など意味によって様々な漢字が当てられています。

「会う」は人と顔を合わせる、普通に会うこと、出会うことに使われますが、「遭う」は災難など好ましくないことに、「遇う」は「偶(たまさか)」にも似ている通り「思いがけず、たまたま」と意味でそれぞれ使い分けられています。

「逢う」は「会う」よりも親しさや恋愛感情を含んだ意味があります。

そして逢瀬の「瀬」とは川の流れの早く浅いところを指す言葉で、流れの早さから「わずかな機会」という意味に転じて「恋人たちのわずかな時間の密会」が「逢瀬」になったといわれています。

郡山の逢瀬川がなぜこの名になったのか、いにしえの人に聞いてみたい気もしますよね。

歌枕としての「逢瀬川」

逢瀬川は、平安の昔から歌枕としていくつかの和歌に詠まれていました。

なかでも有名なのが、源重之のこの歌です。

逢瀬川 袖つくばかり 浅けれど 君許さねば えこそ渡らね

(逢瀬川は袖がつくほど浅いけれど、あなたが思いに応えてくれないので決して渡ることができない)

三十六歌仙にも名を連ねる歌人が東北の片田舎で歌を詠んだというのも俄かに信じがたく、本当に郡山を流れる逢瀬川が歌枕になったのかと疑問にも思いましたが、こんな歌もあります。

浅香山 さも浅からぬ 敵とみて 逢瀬に勇む 駒の足並み(源頼義)

ここに詠まれた「浅香山」は「安積山」と同じで、郡山市の地名「安積(あさか)」のことで間違いないですね。

月とススキと「思い草」

お月見とススキの関係

さて、今年(2023年)の中秋の名月は9月29日です。

お月見にはススキにお団子が欠かせませんが、本来は秋に収穫した畑の恵み(里芋、さつま芋、かぼちゃ、柿、栗など)も一緒に供えます。

これは収穫に感謝し、五穀豊穣の願いを月に願うならわしで、丸いお団子を月に、ススキを稲穂に見立てています。

ススキを供える理由については諸説あり、単に稲穂に似ているだけでなく、旧暦のお月見の時期にはまだ稲刈りが終わっていなかった説、本物の稲穂を供える以前に年貢として取られてしまう説などがあります。

いにしえの頃から祈りをささげる対象だった満月と、願いを込めて供えられてきたススキ。

月夜に揺れるススキが絵になると感じるのも、日本人のDNAに刻み込まれているのかも知れません。

「思い草」ナンバンギセル

ススキの根元を見ると、ユニークな形の花が咲いていることに気が付きます。

緑の葉をもたずひょろひょろと伸びて、うつむき加減に薄紫色の花を咲かせる「ナンバンギセル」です。

煙管(キセル)のような形状をしたこの植物は、ススキをはじめとするイネ科の植物の根に寄生する性質をもっています。

(これは先日撮ったもので、花の盛りを過ぎておりきれいな写真じゃなくて失礼します)

このナンバンギセル、実は万葉集や新古今和歌集にも詠まれています。

もっとも当時は煙管などなかったので、この花は「思い草(思ひ草)」と呼ばれていました。

うつむき加減に下を向いて咲くことからその名がついたとされ、恋に悩むさまに例えられています。

野辺見れば 尾花がもとの 思ひ草 枯れ行く冬に なりぞしにける(新古今和歌集・和泉式部)

(野辺を見ると、ススキの根元に物思いするように咲いていた思い草も冬に近づくにつれ枯れていくのですね)

ちなみに尾花とはススキのことで、動物の尾に似ていることからそう呼ばれています。

馬の毛色で、栗毛の中でも尾が白っぽく、プラチナブロンドのように美しいものを「尾花栗毛」というのもその名残ですね。

まとめ

45年前の秋、逢瀬川のほとりで群れながら揺れる無数のススキと、それを照らす月。

ススキの下には誰かが身を隠していたのでしょうか。

そこには思い草が咲いていたのでしょうか。

実際にはカメラマンが一人、シャッターチャンスを狙っていただけなのかも知れませんが……

和歌にも詠まれた逢瀬川と、思い草を従えながら凛とした佇まいのススキ。

どこかロマンティックな想像をかき立てられる風景です。

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